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| 当院で手術をされた多くの方々が、自身の体験談を語ってくれています。 | 著名人体験談一覧 | |


1969年4月19日生まれ。山梨県出身。
身長:169cm 体重:75kg 血液型 B型
投打 右投げ左打ち
所属暦 1992〜97年 阪神タイガース 背番号「8」
1998〜02年 中日ドラゴンズ 背番号「6」
2003〜05年 阪神タイガース 背番号「32」
東海大甲府−日本石油−阪神−中日−阪神
タイトル:1992年 セ・リーグ 新人王
1994年、1996年に全試合出場、
1998年9月27日に200犠打達成、
2000年5月7日1000試合出場。
1992年、1995年、1996年、1997年オールスター出場。


ある日、沖原さん(現・楽天イーグルス)から電話がかかってきまして、「久慈さん、手術しませんか?」って唐突に聞かれて、「はぁ?」って感じだったんですが、よく聞いてみたら自分がレーシックをして凄く良かったものだから、僕にも薦めてくれたんです。実は視力回復手術の事を知ったのは1995年頃でした。当時僕が所属していた名古屋のチームでトレーナーから薦められたことがあったんです。最初に聞いた当時はもう、もちろん即断りでした(笑)トレーナーは研修会みたいな所で知って薦めてくれたみたいなんですが、誰も受けてる人もいなかったですし、その時に見えるようになることよりも、5年後や10年後にもプロ野球の現役選手で居たいという気持ちから、不安感に勝てず受けることは出来なかったんです。今回もちょっと考えましたが、沖原さんが「やばいっす!めちゃくちゃ見えます!」って言いながら回復後の見え方を説明するので、大丈夫だと思い自分でも受けようと決心しました。昔の事は、その時点でプロとしての選択をしたと自分では思っていましたが、今レーシックを受けてみると、あの時にしておけば良かったんではないかと思っています。現役時代の成績にも違いがあったかなぁ?って思ってしまいますね。(笑)そうそう、それと沖原さんは僕に「“カスタムビュー”だと“ハイビジョン”的に見える」という事を言いたかったんでしょうね、興奮しながら「久慈さん、プラズマっす!プラズマ!」って言ってました(爆)


沖原さんが受けたのが神戸クリニックでしたので勧められるままに来ました。検査のときも詳しく説明してくれましたし、先々何かあったときの事を考えると生涯保障してくれる制度は安心でした。実は適応検査のときにちょっと緊張していたんですが、皆さんの対応によって不安も和らいだと思います。それと、適応検査の時に目薬で瞳孔開きますよね?あれ、初めてやったんですけど、話には聞いてて眩しくなるのは分かってましたが、検査後に「まさかこのままなんて無いよな〜?」ってちょっと不安になってしまいました。寝て起きてもこのままだったら嫌だな〜なんて思ったりして、それだけ緊張していたんですね。(笑)でも全然問題なくって、スタッフの方には本当に良くしてもらえました。


手術自体はものすごく早く終わったと思います。自分では5〜6分くらいだったような感じでした。先生が手術中にずっと声をかけてくれるので、次にどうなるとかが分かって良かったですし、看護師さんが手を握ってくれていたので、もの凄く安心出来ました。でも、フラップを開ける時かなぁ?一瞬視界が真っ暗になるでしょ?あの瞬間に緊張感もピークに達してしまって、握ってもらっている手を握り返したいって思ったんですけど、やっていいものかどうか迷いましたね。結局握り返せませんでしたけどね・・・。(笑)手術後はちょっと眩しさがあり、翌朝目を開けるのに勇気が要りましたが、何の問題もなくよく見えていました。翌日検査の視力測定では2.0まで見えててびっくりです。スタッフの人も驚いてました。実は、レーシックを受けてから、マスターズリーグの野球の試合に出たんですが、3打数2安打でした。ベンチからスコアボードも良く見えますし、コンタクトレンズのときと比べて、目が乾くことが無い分しっかり見る事ができるんですね。それに夜に運転するとき見えづらかったのがとても楽になりました。生まれて初めて2.0という視力を体験したわけですが、コンタクトレンズを初めて使ったときに、世界が変わったと思ったんですけど、レーシックの見え方はそれとは比べ物にならないくらいの見え方で、本当に世界が変わりましたね。
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