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梨田 昌孝さんの体験談

北海道日本ハムファイターズ監督
年齢:55
[右] 0.4 → 1.5
[左] 0.4 → 1.5
※視力の回復には個人差がございます。
1953年8月4日 島根県浜田市生まれ
浜田高校出身1972年に近鉄バファローズ入団(ドラフト2位)し、1988年現役を引退。2000年から5年間、大阪近鉄バファローズ監督を勤め、2001年にはチームをリーグ優勝へと導く。
NHK 野球解説、日刊スポーツ野球評論家として活躍され、2008年より日本ハムファイターズ監督に就任。
レーシックを受けようと思ったきっかけは何ですか?
梨田

レーシックという技術の存在を知ったのは6年ほど前。私が現役を退いてからでした。当時の現役捕手が受けて、彼からその素晴らしさを聞いたのが初めてです。
吉田
確か、息子さんと娘さんが先に手術を受けられたんですよね。
梨田
二人とも裸眼で視力が0.1あるかないかというほどだったんで、まず彼らに受けさせたんです。それぞれの誕生日に「レーシックをプレゼントしてやる」と。術後に視力が回復した二人からは「いままでもらった誕生日プレゼントの中で最高だよ。ありがとう」と言ってくれました。
吉田
きっかけとなったのも、お子さんたちの反応ですか。
梨田
それはありますね。あと、同い年の友人が受けたことの影響もあります。ゴルフに行ったときに、いつも見慣れた眼鏡がなくて、何やら嬉しそうに笑っているんで「どうした?」って感じで聞いたんです。そしたら、レーシックを受けたのだと。その日の彼のパットは絶好調、見事に沈めまくる。それで私の決心は固まりました。
目が悪くてどんなことに困りましたか?
梨田私の生涯打率は2割5分4厘ですが、もし現役時代にレーシックを体験していたら、もう少し打てたかもしれませんね(笑)。現役時代、特に苦しんだのは、小雨や霧の日のゲームです。モヤがかかってボールがよく見えない。実際に、そういった日の成績はよくなくて、これは記録を見るとハッキリ出ていました。
吉田
では、現役時代はコンタクトレンズを使用されていたのですか。
梨田
いえ、コンタクトはどうしても馴染めなくて、裸眼のままプレーしていました。私の視力は当時、左0.3、右0.4。極端に悪いというほどではなく、眼鏡をかけたくない中途半端な視力だったんです。吉田
眼鏡をかけるとプレーに影響があったりしたのでしょうか。
梨田
眼鏡も正面を見るのは問題なんですが、視界の端の方を見るときに歪んで見えてしまうので使うのをやめました。特に私のキャッチャーというポジションは、アチコチに目を配らなければいけませんからね。
レーシックを受けて良かったと思うのはどんなときですか?
吉田
野球選手が視力を高めてその効果がもっとも形に現れるのはバッティングだと思うのですが、それ以外のプレーではどんなメリットがありますか。
梨田
野球は、打つことと並んで、投げることも大事です。外野から矢のような送球をホームに正確に投げられる選手というのは、例外なく眼がいいですよ。
吉田
なるほど。ピッチャーに関してはどうですか。
梨田
ピッチャーの場合、眼が悪いとキャッチャーのサインが見づらく、投球のリズムが悪くなり、ひいてはチーム全体に悪影響を与えてしまいますよね。そういうことも含めて、眼が良くなると集中力も高まって、いいプレーができるようになると思いますね。
吉田
では、梨田監督ご自身がいちばん視力の変化を実感されたのはどんなことでしょう。梨田
いちばん驚いたのは、「視力の端のほうまでよく見える」ということですね。あと、一般的な感想ですが、人相も良くなります。眼を細めてにらむように見ることがなくなるから、穏やかな表情になって女性にモテるように(笑)。いずれにしても、プロの真剣勝負では、「眼光の鋭さ」というのは非常に大事なんですが、それはよく見えていてこそです。
吉田
それは納得の結論ですね。これからの試合の視界も良好となるよう、応援しています。頑張ってください。
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