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中田 敦彦さんの体験談

吉本興業所属タレント オリエンタルラジオ

  • iLASIK



[右] 0.07 → 1.5
[左] 0.09 → 1.5
※視力の回復には個人差がございます。

profile_header.gif1982年9月27日生まれ
大阪府出身
血液型:O型
身長:173cm
体重:65kg
所属:よしもとクリエイティブ・エージェンシー

フジテレビ系「笑っていいとも!(金曜レギュラー)」やルミネtheよしもとなどに出演中。

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レーシック(LASIK)を最初に知ったのは?

芸人になって2~3年めくらいの時には知っていたと思うんですが、それがどういうものなのかあんまり浸透してなかったので、スポーツ選手とか一部の限られた人が受けるものなんだって認識で、自分はそこまでしなくていいかって感じでしたね。







レーシック(LASIK)を受けようと思われた動機は?

やっぱり、まわりの人が普通に受け始めたことですね。レーシック(LASIK)を受けた芸人は、楽屋とかいろんなところで「いいよ」ってすごく話すんですよ。そんな話を聞くうちに自分もやってみたいなって気になっていったんですよね。

やっぱり受ける決め手になったのは、自分のコンタクトレンズの扱いよりも、レーシック(LASIK)の方が信用できると思ったこと(笑)。自分の洗い方とか殺菌、装用時間、どれをとっても、「こんなので大丈夫か」って思っていましたからね。まわりにも雑な扱いしている人が多くて、そんなのを見ていてどんどん心配になって。レーシック(LASIK)を受けるリスクよりも、自分がコンタクトレンズを使い続ける方がよっぽどリスクが高い!(笑)。


視力矯正器具を使っていて困ったことは?

視力が落ち始めたのを実感したのは、小6くらいです。校舎のでかい時計がだんだん見えなくなってることに気づいて。うちの両親も眼が悪かったので遺伝ですね。

ただ、見えないまま1年くらいガマンしてました。いやぁ、これってだめですね。自信持って話ができなくなって、どんどん内向的になってしまって...。これではいけないって思って中2からメガネをかけ始めました。その時に選んだのは、『レオン』って映画でジャン・レノがかけてた丸いサングラスに憧れて、まん丸のメガネ。そしたら、ついたあだ名が"滝廉太郎"でした(笑)。

コンタクトレンズにしたのは高2の時。同じクラスの女の子を好きになったからです。髪も茶髪にしたりして(笑)。まあ、そんな感じで以来、ずっとコンタクトレンズなんですが、やっぱりケアがいちばん面倒で、この仕事を始めて生活が不規則になると眼に悪いだろうなっていつも思っていました。コンタクトレンズがなくなって、もっと便利なものが開発されないかって期待したりもしてましたね。


手術当日はどんな気持ちでしたか?

受けるまでは気楽に考えていましたが、怖いと思ったのは、手術室に入ってからですね。
一番怖かったのは、フラップをめくって一瞬何も見えなくなった時。何が起きてるんだろうって。でも、その時、スタッフの方がそっと自分の手にふれてくれて、ものすごくほっとしました。いやぁ、あれなかったらヤバかったですよ(笑)。


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視力が回復した感想は?

翌朝、はっきり見えて感動したって話をよく聞きますが、自分の場合は、夜寝る前にはもうしっかり見えていましたね。今では見えてなかった時期がなかった感じで、知らないうちに見えるのが当たり前になってました。神戸クリニックさんには悪いですが、レーシック(LASIK)を受けたことを忘れるくらい、自然になじんで(笑)。

見えることでのメリットはたくさんありますが、仕事場では、カンペとか字幕が見えるのはもちろん、スタジオのお客さんの顔がよく見えるのがいいですね。特に、女の子がよく見える。「うわぁ、かわいいな」って思うと、モチベーションが上がりますしね(笑)。

それにしても、体験して思うんですが、レーシック(LASIK)はとても画期的で、メガネの発明に匹敵するくらいすごい技術だと思うんです。ぜったい、もっと評価されても良いんじゃないですか。本当、そう思います!



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